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黒田官兵衛 

2014/03/07
  
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    「軍師官兵衛 その妻光姫のふるさとを訪ねて」という冊子が発刊されました。

   内容を抜粋します。よってコメントは要りません(笑)返事が遅くなるからです。

   よかったら読んでくださいね。

   光姫のふるさと加古川紀行


    光姫の生涯
   
 



   光姫は 天文22年(1553)志方城主 櫛橋伊定の次女として生まれ

   15歳の時 叔父にあたる 小寺政職(まさもと)の養女となり

   7歳年上の黒田官兵衛の正室として 姫路城に入りました。

   城と言っても現在のような立派な城でなく 小さな建物にすぎませんでした。

   光姫の父は 早くから官兵衛に目をつけており

   結婚の」1年前に 赤合子兜 と 胴丸具足 を贈っています。

   嫁いだ翌年 永禄11年(1568)に嫡男 松寿丸が誕生(後の福岡藩主 黒田長政)

   14年後に 天正10年(1582年)次男 熊之助が誕生しました。

   天正6年(1578)7月のこと

   織田信忠軍が光姫の実家である志方城に攻め寄せました。

   いわゆる志方城の戦いです。

   同年8月10日 志方城は落城しました。

   光姫は どんな思い出この知らせを聞いたのでしょう。
  
   夫 官兵衛が]この戦いの加わっていなかった事がせめてもの救いでした。

   天正6年(1578)年10月

   光姫は人生最大の苦悩に直面しました。
   
   官兵衛が 有岡城(伊丹市)に幽閉され 毛利方に寝返ったと考えた信長は

   「人質の松寿丸を殺せ」と 秀吉に命じました。

   この知らせを聞いた光姫は 夫と子供の安否に心痛の時を過ごして

   いた事でしょう。

   松寿丸は 「官兵衛は裏切らない」と確信する 盟友の 軍師 竹中半兵衛により

   半兵衛の居城にかくまわれていました。

   その後 半兵衛は 官兵衛と対面することなく
 
   三木城攻めの最中 三木 平井山の陣中で 病没しました。

   
   やがて 有岡城が落城し1年ぶりに官兵衛が救出されました。

   疑念の晴れた官兵衛と松寿丸は 姫路に帰る事が出来ました。

   光姫と官兵衛は]半兵衛の計らいに感謝したと言います。   つづく 
  
   
   
   
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04:01 つれづれ | コメント(8) | トラックバック(0)
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